藤田講義民訴を読了したと言ったら友人に良い本かと聞かれたので、いい本かどうかとは関係なく思い出したことをつれづれと。
藤田さんは、固有必要的共同訴訟のところで、上訴しなかった共同訴訟人は上訴人とならない理由として「上訴しなかった共同訴訟人の合理的意思に反するものですし」「合一確定のためには、原判決の確定遮断、訴訟全体の移審、上訴しなかった共同訴訟人に対しても判決効が及ぶと解することで足りると解されます」(475頁)と述べてらします。
本当に固有必要的共同訴訟は面倒で嫌な訴訟なんですね、と思いました。この理屈がその通りなら(そしてまったくもってその通りだと思いますが)、第1審についてもそのままあてはまるものだからです。
固有必要的共同訴訟では、訴訟を提起して原告になるつもりのない人、しかも、本来なら当事者になるとしたら権利関係に照らして被告ではなく原告であろうと思われる人まで被告として訴訟提起させることがあります。これは、訴訟を提起しなかった共同訴訟人の合理的意思に反するものです。一緒に訴訟を提起してくれなかったら敵だというのは決めつけがすぎるでしょう。
とすれば、時効遮断、訴訟全体の係属、訴訟を提起しなかった一定の者に判決効が及ぶと解することができる場合には、固有必要的共同訴訟という形態は無くても良いことになります。
もちろん、現行の制度では、類似ではなく固有必要的共同訴訟と解されているにもかかわらず、そう解することのできる場合は無いと思います。具体的には、類似必要的共同訴訟に加えて、判決効として既判力などが全面的に及ぶ訴訟告知類型を創設して組み合わせる必要があるかと思います。
だからこそ、そんなことはおくびにも出していないんでしょう。元裁判官が立法論を述べるべきではないという思いもあるかもしれません。
私などは、基本六法(会社法を除く)の法学は、立法論を述べることができるほど立法事実の研究が進んでいないと思ってますが。会社法だって、法律自体が新しいので解釈と立法事実が近しい条文が多いこと、議員・財界が手を出してくるので、応戦する際に学んだという経緯があるからこそであって、これが50年も経てばどうなっているか分かりません。
条文の錯綜している刑事訴訟法の改正を、刑事法学者と検察官出身者、刑事弁護出身者の三者に任せたら(人数は左右半々に調整するとしても)どうなるか、想像しただけで恐ろしいものがあります。
ちなみに、私がこの本は良いかと聞かれたら、学部生・ロー1年には「いいもんだからとりあえず目を通してみて、ですます口調がどうしても嫌とかでなきゃ通読おすすめ」ロー生2年以上には

